目次
  1. 「敷居が高い」の本来の意味
  2. 誤用が多数派に——文化庁調査の衝撃
  3. なぜ意味が変わったのか
  4. 辞書はどう対応したか
  5. 結局、どう使えばいいのか
  6. 言葉は生きている

「あのレストランは敷居が高くて…」という使い方、あなたもしたことがありませんか?

実はこの表現、長らく「誤用」とされてきました。ところが2018年、権威ある国語辞典がこの使い方を正式に認めたのです。言葉の意味が変わる瞬間を、データとともに見ていきましょう。

「敷居が高い」の本来の意味

「敷居が高い」の本来の意味は、「相手に不義理などをしてしまい、その人の家に行きにくい」というものです。

「敷居」とは、家の門や玄関、部屋の出入り口に敷かれる横木のこと。引き戸やふすまを開け閉めするためのレールのような役割を果たします。

借金を返していない、長らく連絡をしていないなど、相手に対して負い目があると、その家の敷居をまたぐのが心理的につらくなります。実際には敷居の高さは変わらないのに、まるで高くなったように感じる——これが「敷居が高い」の原義です。

初めは井筒屋のお得意であったが、借金が嵩んで敷居が高くなるに従って足が遠のいた

井伏鱒二『本日休診』

このように、戦前の文学作品では「不義理があって行きにくい」という意味で使われていました。

誤用が多数派に——文化庁調査の衝撃

文化庁は「国語に関する世論調査」で、「敷居が高い」の意味を継続的に調査しています。その結果は、言葉の変化を如実に示すものでした。

平成20年度(2008年)の調査結果

  • 本来の意味「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」…42.1%
  • 新しい意味「高級過ぎたり、上品過ぎたりして、入りにくい」…45.6%
  • 両方の意味…10.1%

この時点で、すでに「誤用」とされる意味の方が多数派でした。

令和元年度(2019年)の調査結果

  • 本来の意味…29.0%(13.1ポイント減)
  • 新しい意味…56.4%(10.8ポイント増)
  • 両方の意味…12.2%

11年間で、本来の意味を選ぶ人は大幅に減少。新しい意味が圧倒的多数派となりました。

世代による違い

年代別に見ると、さらに興味深い傾向が見えてきます。

  • 70歳以上:本来の意味が多数派(唯一の世代)
  • 50代・60代:新しい意味がやや多い
  • 30代以下:新しい意味が70%以上

若い世代ほど「高級で入りにくい」の意味で理解している人が多く、世代間で意味の認識が大きく異なることがわかります。

なぜ意味が変わったのか

文化庁の担当者は、意味が変化した理由を次のように分析しています。

現代社会では、借金を返さない、長らく連絡をしないといった「不義理」が生じる場面や文脈が減少しました。その結果、「不義理があって」という前提部分が抜け落ち、「行きにくい」という結果だけが残ったのです。

また、「ハードルが高い」という表現との混同も一因と考えられています。「敷居」も「ハードル」も越えるべき障害物であり、「高い」という形容詞と結びつくことで、意味が混ざりやすくなったのでしょう。

辞書はどう対応したか

言葉の意味が変化したとき、辞書はどう対応するのでしょうか。「敷居が高い」をめぐる各辞書の判断は、興味深い違いを見せています。

広辞苑 第七版(2018年)——正式に認める

2018年1月に発売された広辞苑第七版は、大きな決断をしました。

第六版までは「不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい」のみでしたが、第七版では「また、高級だったり、格が高かったり思えて、その家・店に入りにくい」という意味が追加されたのです。

注目すべきは、「俗に」「近年の用法として」といった注記が一切ないこと。広辞苑は、この使い方を俗用ではなく、正式な意味として認めたことになります。

ポイント

広辞苑第七版(2018年)で「高級で入りにくい」の意味が正式に追加された。これにより、長年「誤用」とされてきた使い方が辞書で認められた。

三省堂国語辞典 第七版(2014年)——注記を削除

広辞苑より4年早く、三省堂国語辞典は第七版で「敷居が高い」の誤用注記を削除しました。編集委員の飯間浩明氏は、用例を丹念に調査した結果、「高級で入りにくい」の意味での使用が古くから存在することを確認したと述べています。

大辞林 第四版(2019年)——注記付きで併記

一方、大辞林第四版は慎重な姿勢を取りました。新しい意味を記載しつつも、「近年『高級さ・上品さにひるんで行きにくい』の意で用いることがあるが本来は誤り」と注記しています。

明鏡国語辞典 第三版(2020年)——従来の立場を維持

明鏡国語辞典第三版は、本来の意味のみを掲載し、新しい意味には言及していません。

このように、同じ時期に出版された辞書でも、対応は分かれています。言葉の変化をどの時点で「認める」かは、辞書によって判断が異なるのです。

結局、どう使えばいいのか

辞書の対応が分かれている現状で、「敷居が高い」をどう使えばよいのでしょうか。

注意

広辞苑で認められたとはいえ、「高級で入りにくい」の意味で使うと、一部の人からは「誤用」と指摘される可能性があります。特に年配の方との会話では注意が必要です。

確実に伝えたい場合の言い換え

誤解なく意図を伝えたい場合は、以下の言い換えが有効です。

  • 「高級で入りにくい」の意味:ハードルが高い、格式が高い、分不相応
  • 「不義理があって行きにくい」の意味:顔向けできない、合わせる顔がない

文脈で判断される時代へ

文化庁の担当者は「本来の意味と異なっても、誤用とは言えない」としつつ、「世代によって異なる受け取り方がされ、意図と異なる意味で伝わる可能性もある」と指摘しています。

つまり、「敷居が高い」は今や、どちらの意味で使っても「正しい」と言える一方、相手によっては意図が伝わらない可能性がある言葉になったのです。

言葉は生きている

「敷居が高い」の変遷は、言葉が時代とともに変化することを示す好例です。

かつては「誤用」とされた使い方が、多くの人に使われ続けた結果、辞書に正式な意味として採用される——これは日本語の歴史において珍しいことではありません。「全然」が肯定文で使われるようになったのも、同様の過程を経ています。

言葉の「正しさ」は、時代や社会によって変わりうるもの。大切なのは、相手に意図が正しく伝わるかどうかを意識することかもしれません。

補足

本記事は2019年の文化庁調査と2018年の広辞苑第七版の情報に基づいています。言葉の意味や辞書の記載は今後も変化する可能性があります。

佐藤文哉
この記事の監修者 佐藤文哉 編集長 / ライター歴15年