「的を得る 」と「的を射る」、あなたはどちらを使いますか?
「『的を得る』は誤用で、正しくは『的を射る』だ」——こう指摘された経験がある人は多いのではないでしょうか。実際、学校やビジネスマナーの場面で「的を射る」が正しいと教わった人も少なくありません。
しかし2013年、この常識を覆す出来事がありました。誤用説の発信源だった辞書が、約30年ぶりに自らの判断を撤回したのです。
辞書が認めた「誤り」の誤り
2013年12月、『三省堂国語辞典』第7版が発売されました。その中で、編集者の飯間浩明氏はTwitter(現X)で衝撃的な発言をしています。
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。
飯間浩明氏 Twitter(2013年12月15日)
『三省堂国語辞典』は1982年の第3版から約30年間、「的を得る」を誤用として記載してきました。その辞書が自ら誤りを認め、「的を得る」を正式な慣用句として掲載し直したのです。
飯間氏は「もはや誤用とは言えないほど普及したから正用にした」のではなく、「そもそも誤用扱いにしてきたこと自体が誤りだった」と説明しています。つまり、最初から「的を得る」は正しい表現だったのです。
なぜ「的を得る」は正しいのか
飯間氏は「的を得る」が正しい理由として、「得る」という動詞の意味を挙げています。
日本語の「得る」には「手に入れる」だけでなく、「うまく捉える」という意味があります。実際、私たちは普段から以下のような表現を自然に使っています。
- 当を得る:道理にかなっている
- 要領を得る:要点をうまく捉えている
- 時宜を得る:タイミングをうまく捉えている
これらと同様に、「的を得る」も「的(要点)をうまく捉える」という意味で成り立つ表現なのです。
「正鵠を得る」という源流
実は「的を得る」には、もう一つ強力な根拠があります。それが「正鵠を得る」という表現の存在です。
「正鵠」とは、弓の的の中心にある黒い点のこと。古代中国では的の中央に白鳥(鵠)の絵を描いていたことに由来します。
この表現の源流は、中国の古典『礼記』にある「不失正鵠(正鵠を失わず)」です。「失わず」の反対として「得る」が使われるようになり、明治時代には「正鵠を得る」という表現が日本で広く使われていました。
その後、戦後の漢字簡略化の流れで「正鵠」が「的」に置き換えられ、「的を得る」という表現が生まれたと考えられています。つまり「的を得る」は、「正鵠を得る」という由緒正しい表現の系譜を引く言葉なのです。
「正鵠を射る」という表現が広まったのは昭和以降のこと。「正鵠」に「的」という意味があることが知られるようになり、「的は射るもの」という発想から生まれました。時系列で見ると「得る」の方が古い表現です。
文化庁調査に見る世論の変化
興味深いのは、文化庁の「国語に関する世論調査」の結果です。
「物事の肝心な点を確実にとらえること」を表す言葉として、どちらを使うかを調査した結果は以下の通りです。
平成15年(2003年)調査
- 「的を得る」を使う:54.3%
- 「的を射る」を使う:38.8%
平成24年(2012年)調査
- 「的を射る」を使う:52.4%
- 「的を得る」を使う:40.8%
約10年で多数派が逆転しています。2003年時点では「的を得る」が過半数を占めていたのに、2012年には「的を射る」が優勢になりました。
この変化の背景には、「的を得るは誤用」という情報が広まった影響があると考えられます。辞書やマナー本、メディアが「正しくは的を射る」と繰り返し発信した結果、人々の言葉遣いが変わっていったのです。
皮肉なことに、文化庁は調査で「的を射る」を「本来の言い方」、「的を得る」を「本来の言い方ではない」と位置づけていました。しかしこの前提自体が、三省堂の撤回により揺らいでいます。
辞書が作り出した「冤罪」
この一連の経緯は、言葉の「正しさ」について考えさせられる事例です。
ある辞書が「誤用」と断定したことで、その判断が他の辞書やメディアに広まり、やがて「常識」として定着しました。その結果、本来は正しかった表現を使う人が「間違っている」と指摘される事態が長年続いたのです。
カクヨムの連載記事では、これを「権威ある辞書が『誤用』という名の『冤罪』を生み出してしまった例」と表現しています。
現在でも『大辞泉』『大辞林』『明鏡国語辞典』などは「的を得る」を誤用として記載しています。一方、『広辞苑』『新明解国語辞典』などは誤用とも正用とも明記していません。辞書によって見解が分かれている状態です。
結局、どちらを使えばいい?
結論として、「的を射る」も「的を得る」も、どちらを使っても間違いではありません。
- 的を射る:現在の主流。指摘されるリスクが低い
- 的を得る:語源的には正しい。三省堂国語辞典も認めている
ビジネス文書や公式な場面で「無難に済ませたい」なら「的を射る」を選ぶのが現実的でしょう。一方、「的を得る」を使っても、それは決して誤りではありません。
大切なのは、「辞書に書いてあるから正しい」「みんなが言っているから正しい」という思い込みにとらわれないことかもしれません。言葉は生き物であり、時に辞書でさえ間違えることがある——「的を得る」をめぐる騒動は、そのことを私たちに教えてくれています。