4年に一度、世界中が熱狂する「オリンピック」。誰もが知るこの言葉ですが、その語源をたどると、古代ギリシャのある小さな聖地にたどり着きます。
さらに、正式名称に含まれる「オリンピアード」という言葉には、単なる「4年ごとの大会」とは異なる意味があることをご存知でしょうか。本記事では「オリンピック」という言葉の成り立ちを、古代から現代まで順にたどっていきます。
「オリンピック」の語源──地名「オリンピア」に由来
「オリンピック」という言葉は、古代ギリシャの聖地「オリンピア」(Olympia)に由来します。オリンピアは、ギリシャ・ペロポネソス半島の西部エリス地方にあった宗教的な聖域で、主神ゼウスを祀る神殿が建てられていました。
古代ギリシャでは、この聖地で開かれた競技祭を「オリンピア祭典競技」と呼んでいました。英語の「Olympic」はその形容詞形で、「Olympic Games」(オリンピック競技大会)として使われています。日本語の「オリンピック」は、この英語の発音をそのまま取り入れたものです。
オリンピアとオリンポス山は別の場所
混同されやすいのが、ギリシャ神話で「神々の住む山」として知られるオリンポス山(標高2,917m)です。オリンポス山はギリシャ北東部のテッサリア地方にあり、オリンピアとは数百キロも離れた別の場所です。
ただし、「オリンピア」という地名自体がオリンポス山に由来するという説もあり、語源的なつながりは指摘されています。いずれにしても、オリンピック発祥の地はペロポネソス半島のオリンピアであり、オリンポス山ではありません。
古代オリンピック──神々に捧げた祭典競技
古代オリンピックは、紀元前776年に始まったとされています。これはあくまで記録が残る最古の大会であり、実際にはそれ以前から行われていた可能性もあります。以来、紀元後393年まで約1,169年間、計293回にわたって開催されました。
ゼウスに捧げる宗教行事
古代オリンピックは、スポーツ大会というよりもゼウス神に捧げる宗教的な祭典でした。オリンピアの聖域には壮大なゼウス神殿があり、競技はその神域で行われる神聖な儀式の一部だったのです。
古代ギリシャには四大競技祭がありました。オリンピア祭(ゼウスに捧げる)、ネメア祭、イストミア祭、そしてピュティア祭(アポロンに捧げる)です。中でもオリンピア祭が最も格式が高いとされていました。
聖なる休戦「エケケイリア」
注目すべきは、大会期間中に「エケケイリア」(聖なる休戦)が宣言されたことです。各ポリス(都市国家)間で約3か月にわたる停戦が結ばれ、選手や観客が安全にオリンピアへ旅できるよう配慮されました。スポーツが戦争を止める──この理念は、現代オリンピックにも「オリンピック休戦」として受け継がれています。
競技の変遷
初期の競技は「スタディオン走」と呼ばれる約191mの徒競走1種目だけでした。その後、時代とともに種目が増え、最盛期には23種目が行われたとされています。レスリング、ボクシング、戦車競走、五種競技などが加わりました。
参加できたのはギリシャ人の自由市民の男性のみで、選手は全裸で競技を行っていました。優勝者にはオリーブの冠が授けられ、故郷で英雄として迎えられました。
古代オリンピックの終焉
約1,200年近く続いた古代オリンピックは、紀元後393年に幕を閉じます。ローマ帝国の皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教と定め、異教の祭典を禁止したためです。オリンピアの聖域はやがて荒廃し、地震や洪水によって地中に埋もれていきました。
「オリンピアード」とは何か──4年周期の本当の意味
オリンピックに関連してしばしば登場する「オリンピアード(Olympiad)」という言葉。これは単に「オリンピック大会」を指す言葉ではなく、大会と大会の間の「4年間」そのものを意味します。
古代ギリシャの暦としてのオリンピアード
古代ギリシャでは、オリンピックが開催される4年ごとの周期を紀年法(年代の数え方)として使っていました。紀元前776年の第1回大会を起点に、「第○オリンピアード第○年」という形で年を数えたのです。
たとえば「第117オリンピアード第3年」といえば、紀元前310年を指します。統一的な暦を持たなかった古代ギリシャの各ポリスが、共通の年代基準として利用した仕組みでした。
4年周期はなぜ生まれたのか
なぜ「4年」なのかについては、古代ギリシャの暦法に関係があるとされています。太陽暦の8年間と太陰暦の8年間(約8年3か月)のずれを調整するために、交互に49か月と50か月の周期が設けられました。この周期が4年ごとの祭典開催につながったと考えられています。
現代のオリンピアード
現代のオリンピアードは、西暦を4で割り切れる年の1月1日から始まる4年間を指します。第1オリンピアードは1896年〜1899年。夏季オリンピックの正式名称は「オリンピアード競技大会(Games of the Olympiad)」であり、「第○回」ではなく「第○次オリンピアード」という数え方が正式です。
オリンピアードは大会の回数ではなく「4年間の期間」を指すため、戦争で大会が中止になっても番号は飛びません。1916年(第6次)、1940年(第12次)、1944年(第13次)は大会未開催ですが、オリンピアードとしてはカウントされています。
なお、冬季オリンピックは「オリンピック冬季競技大会(Olympic Winter Games)」が正式名称で、オリンピアードの番号体系とは別に「第○回」で数えられます。冬季大会は1924年に始まり、当初は夏季と同じ年に開催されていましたが、1994年以降はオリンピアードの中間年(4で割って2余る年)に開催されるようになりました。
近代オリンピックの復活──クーベルタンの理想
約1,500年の空白を経て、オリンピックが復活したのは19世紀末のことです。その立役者が、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタン(1863〜1937年)でした。
復活のきっかけ
クーベルタンがオリンピック復活を志した背景には、いくつかの要因がありました。
- イギリスのパブリックスクールのスポーツ教育に感銘を受け、スポーツによる人間教育を確信した
- 1875年〜1882年にドイツの考古学者エルンスト・クルティウスらが行ったオリンピア遺跡の発掘が世界的な話題となり、古代オリンピックへの関心が高まった
- スポーツを通じた国際交流が世界平和につながるという理想を抱いた
1896年、アテネでの第1回大会
1894年6月23日、パリで開催された国際体育会議でクーベルタンの「オリンピック復興」が満場一致で可決され、国際オリンピック委員会(IOC)が設立されました。そして2年後の1896年、古代オリンピック発祥の地ギリシャの首都アテネで、第1回近代オリンピックが開催されます。
参加国は14か国、選手はわずか241名、実施されたのは8競技43種目でした。現在の夏季大会(200以上の国・地域、1万人超の選手、300種目以上)と比べると小規模ですが、古代の理想を近代に蘇らせた歴史的な大会でした。
オリンピズムの精神
クーベルタンが掲げた「オリンピズム」とは、スポーツを通じて心身を向上させ、文化や国籍の違いを乗り越えて平和な世界の実現に貢献するという思想です。大会のモットーは「Citius, Altius, Fortius」(より速く、より高く、より強く)というラテン語で、2021年には「Communiter」(共に)が加えられました。
また、世界五大陸の結びつきを表す五輪マークは、クーベルタン自身が1914年にデザインしたものです。青・黄・黒・緑・赤の5色は、当時の参加国すべての国旗に少なくとも1色は含まれる色として選ばれたとされています。
古代と近代、何が変わったのか
古代と近代のオリンピックは「4年に一度」「スポーツの祭典」という共通点はあるものの、その中身は大きく異なります。
| 項目 | 古代オリンピック | 近代オリンピック |
|---|---|---|
| 目的 | ゼウス神に捧げる宗教祭典 | スポーツによる国際平和と友好 |
| 参加者 | ギリシャ人の自由市民の男性のみ | 世界中の選手(男女とも参加) |
| 開催地 | オリンピアのみ(固定) | 開催都市が毎回変わる |
| 優勝賞品 | オリーブの冠 | 金・銀・銅メダル |
| 競技数 | 最盛期で約23種目 | 300種目以上(夏季大会) |
最も大きな違いは、古代が宗教行事だったのに対し、近代は国際親善と平和の祭典として位置づけられている点でしょう。しかし、スポーツを通じて人々が集い、争いを超えて交流するという根本的な精神は、約2,800年前から変わっていないとも言えます。
まとめ
「オリンピック」という言葉は、古代ギリシャの聖地「オリンピア」に由来し、そこで行われたゼウスに捧げる競技祭が始まりでした。紀元前776年に始まった古代オリンピックは約1,200年続き、4年周期の「オリンピアード」は暦としても使われていました。
近代オリンピックは19世紀末にクーベルタンの尽力で復活し、スポーツによる平和と国際交流という理想のもとに発展を続けています。何気なく使っている「オリンピック」という一語にも、これだけの歴史と意味が詰まっているのです。