「このノロマ!」——動作が遅い人や頭の回転が鈍い人を罵るときに使われる「のろま」という言葉。決して褒め言葉ではありません。
ところが、この「のろま」の語源をたどると、実は江戸時代に活躍した超一流の人形遣いの名前に行き着くのです。しかも、その人物自身は「のろま」どころか、腕利きの名人だったというから驚きです。
「のろま」は人の名前?
「のろま」は漢字で「野呂間」「野呂松」「鈍間」などと書きます。
このうち「野呂松」という表記が、語源の手がかりになります。
江戸時代の延宝年間(1673〜1681年)頃、江戸の堺町で人形浄瑠璃の興行が盛んに行われていました。その一座に、野呂松勘兵衛(のろまつかんべえ)という人形遣いがいたのです。
野呂松勘兵衛と「野呂間人形」
野呂松勘兵衛が扱っていたのは、人形浄瑠璃の間狂言に登場する道化人形でした。
間狂言とは、本編の浄瑠璃の幕間に演じられる短い喜劇のこと。緊張感のある本編の合間に、観客を笑わせてリラックスさせる役割がありました。
野呂松勘兵衛が使う人形には、次のような特徴がありました。
- 頭が平たく、顔色が青黒い
- 身なりがみすぼらしい
- 愚鈍な動きで滑稽な会話を披露する
この道化人形は、野呂松勘兵衛の名前から「野呂間人形(のろまにんぎょう)」と呼ばれるようになりました。
名人の芸が「流行語」になった
ここで重要なのは、野呂松勘兵衛自身は決して「のろま」ではなかったということです。
むしろその逆で、彼の人形の扱いは見事なものでした。愚鈍な役柄の人形を、絶妙な間と動きで操り、観客を大いに笑わせる——その芸の腕前は「名人」と呼ぶにふさわしいものだったといいます。
野呂松勘兵衛と野呂間人形の人気は、たちまち江戸中に広まりました。そして、やがて動作が鈍い人を見ると「あいつはのろまつだ」と言うようになったのです。
「のろま」は「のろまつ(野呂松)」を略した言葉。つまり「あの野呂松勘兵衛の人形みたいだ」というのが元々の意味でした。
名人の名が侮蔑語になる皮肉
言葉の由来をたどると、なんとも皮肉な話です。
野呂松勘兵衛は、愚鈍なキャラクターを演じる超一流の芸人でした。その芸があまりにも見事だったからこそ、「のろまつ」という名前が江戸中に広まったのです。
ところが、時代が下るにつれて「野呂松勘兵衛」という人物の存在は忘れられ、「のろま」という言葉だけが残りました。そして、愚鈍な人形のイメージだけが独り歩きして、今では完全に侮蔑語として定着してしまったのです。
名人芸が評判になった結果、自分の名前が悪口になってしまう——野呂松勘兵衛本人が聞いたら、どう思うでしょうか。
もう一つの説:「鈍し」+「間」
なお、「のろま」の語源にはもう一つの説があります。
それは、速度や動きが遅いことを意味する形容詞「鈍し(のろし)」に、状態を表す接尾語「間(ま)」がついて「のろま」になったという説です。
確かに「のろのろする」という言葉もあるため、この説にも説得力があります。ただし、「のろま」を「野呂松」「野呂間」と書く表記が古くからあることから、野呂松勘兵衛に由来するという説が有力とされています。
佐渡に残る「のろま人形」
野呂間人形は、1715年に近松門左衛門の『国性爺合戦』が大ヒットした頃から、間狂言自体が廃れていくとともに姿を消していきました。
しかし、江戸で生まれた野呂間人形は、享保年間(1716〜1736年)頃に新潟県の佐渡島に伝わり、「のろま人形」として今も受け継がれています。
佐渡ののろま人形には、道化役の「木の助」を主人公に、「下の長者」「お花」「仏師」という4人のキャラクターが登場します。遣い手が佐渡の方言を使って、時事ネタや風刺を交えながらアドリブで語り、観客を笑わせるのが特徴です。
佐渡の「文弥人形」「説経人形」「のろま人形」は、1977年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。のろま人形は、毎年夏に佐渡市で上演会が開かれています。
まとめ
- 「のろま」は江戸時代の人形遣い・野呂松勘兵衛の名前に由来
- 野呂松勘兵衛は愚鈍な人形を巧みに操る「名人」だった
- 人気が出すぎて「あいつはのろまつだ」が流行語に
- やがて人名は忘れられ、侮蔑語だけが残った
- 佐渡には今も「のろま人形」が伝統芸能として残っている
何気なく使っている「のろま」という言葉の裏には、江戸の人々を笑わせた名人芸の記憶が眠っていました。誰かを「のろま」と呼びたくなったとき、ちょっとだけ野呂松勘兵衛のことを思い出してあげてください。彼は決して「のろま」ではなかったのですから。